明覚上人と50音図

ほっと山代情報局(やましろじょうほうきょく)によると五十音図(ごじゅうおんず)が使(つか)われるようになったのはおおよそ1100年(ねん)ということになる。

以下(いか)「明覚上人(みょうがくしょうにん)と梵字(ぼんじ)」より抜粋(ばっすい)

明覚上人(みょうがくしょうにん)は、1056年(天喜(てんき)四年)の生まれで、比叡山(ひえいざん)に住(じゅう)して天台宗(てんだいしゅう)の僧侶(そうりょ)として修行(しゅぎょう)を積(つ)み、「悉曇大底(しったんたいてい)」(1084年)、「反音作法(はんいんさほう)」(1093 年)、「悉曇形音義(しったんけいおんぎ)」 (1098年)、「四家悉曇記(しけしったんき)」(1098年)、「悉曇要訣(しったんようけつ)」(1101年)と多(おお)くの著作(ちょさく)を残(のこ)してきました。」

明覚(みょうがく)『梵字形音義』(ぼんじけいおんぎ)所収(しょしゅう)の悉曇章(しったんしょう)

「五十音図の話」(ごじゅうおんずのはなし) 馬渕和夫(まぶちかずお)