明覚上人と50音図

ほっと山代情報局(やましろじょうほうきょく)によると五十音図(ごじゅうおんず)が使(つか)われるようになったのはおおよそ1100年(ねん)ということになる。

以下(いか)「明覚上人(みょうがくしょうにん)と梵字(ぼんじ)」より抜粋(ばっすい)

明覚上人(みょうがくしょうにん)は、1056年(天喜(てんき)四年)の生まれで、比叡山(ひえいざん)に住(じゅう)して天台宗(てんだいしゅう)の僧侶(そうりょ)として修行(しゅぎょう)を積(つ)み、「悉曇大底(しったんたいてい)」(1084年)、「反音作法(はんいんさほう)」(1093 年)、「悉曇形音義(しったんけいおんぎ)」 (1098年)、「四家悉曇記(しけしったんき)」(1098年)、「悉曇要訣(しったんようけつ)」(1101年)と多(おお)くの著作(ちょさく)を残(のこ)してきました。」

明覚(みょうがく)『梵字形音義』(ぼんじけいおんぎ)所収(しょしゅう)の悉曇章(しったんしょう)

「五十音図の話」(ごじゅうおんずのはなし) 馬渕和夫(まぶちかずお)

五十音図

まずは五十音図(ごじゅうおんず)ということで、サンスクリットと五十音図の関係(かんけい)を述(の)べているサイトを検索(けんさく)したら面白い(おもしろい)サイトが見(み)つかった。

このサイトによると、なんでも五十音図は石川県(いしかわけん)の山代温泉(やましろおんせん)のあたりで作られたということになる。そのことを町(まち)おこしのひとつとしてルロワ東出(ひがしで)康江(やすえ)氏がブログを書(か)いたり、エベントを開催(かいさい)したりしているらしい。

五十音とサンスクリット~インドから日本へ~

(仮)(かり)五十音とサンスクリット~インドから日本へ~

明覚上人(みょうがくしょうにん)と梵字(ぼんじ)

下記(かき)は、仮名(かな)の歴史関係(れきしかんけい)のリンクである。仮名(かな)は西暦(せいれき)1000年以降(いこう)にインドのサンスクリットに基(もと)づいて僧侶(そうりょ)たちが作り出したものであると述べている。

50音図の話(ごじゅうおんずのはなし)

仮名の歴史(かなのれきし)

サンスクリット語(ご)・その形(かたち)と心(こころ)

五十音図の来(き)た道(みち)

はてさて、空海(くうかい)(弘法大師(こうぼうだいし))と契沖(けいちゅう)は五十音の歴史(れきし)において、どう位置(いち)づけされるのだろうか。

五十音図の話